ジョン・デューイ John Dewey ジョン・デューイ(1859.10.20-1952.6.1)はアメリカの哲学者、教育学者。プラグマティズムを大成したことで知られる。主著『学校と社会』『哲学の改造』『人間性と行為』『民主主義と教育』
日本におけるデューイ研究史の特色と課題 ─ どうデューイを批判的に摂取するか? ─ 梶井 一暁 2016年はジョン・デューイの『民主主義と教育』が刊行されて100周年である。同書を はじめ,デューイの著作は,現在も私たちに影響を与えつづけている。
For a full account of this publication's history, see Philosophy Now magazine, here (link) , accessed 3rd June 2014. 『人間性と行為』(1922)は創造的知性について書かれており、人間はしばしば一定の習慣と環境との間で安定した関係を保っている。しかし、新たな問題が発生すると、その関係は崩れ、新しい条件を分析して新しい習慣を形成しようとする、創造的な知性が働きはじめる。教育の面で,われわれはまず次のことに注目する。すなわち、いろいろな関心が相互に浸透しあっており、進歩すなわち[次々に生じる新たな状況への]再適応が考慮すべき重要問題になるような、そういう種類の社会生活を実現するために、民主的共同社会は、他の共同社会よりも、計画的で組織的な教育にいっそう深い関心を向けるようになる、ということである。ある結果を生む——すなわち、鍛冶屋が熱い鉄にある形を与え、医者が回復を早めるように患者の手当てをし、科学の実験者が他のケースにも当てはまる結論を引き出すことが出来るような——ことを意図した行動の方法、反応の仕方は、問題の性質から言って、その結果によってテストされないうちは試験的なもの、不確かなものである。・・・これらのものは、それらをテストする行動の基礎として理解すべきであって、究極的なものとして理解すべきではない。この事実を認めることは頑固なドグマを世界から一掃することである。それは概念、理論、思想体系は使用されることを通じて常に発展し得るものであることの確認である。・・・概念、理論、思想体系は、道具である。すべての道具の場合と同じように、その価値は、それ自身のうちにあるのではなく、その使用の結果に現われる作業能力のうちにある。『民主主義と教育』(1916)はデューイの教育論について書かれている。当時の独占支配が続く資本主義社会や都市への人口集中は民主主義の理想と制度的崩壊が問題となっていた。デューイは『民主主義と教育』において教育によってその危機を突破しようと説いた。人間と環境の関係である状況が不安定になると、その解決のために探求が始まるが、この探求を担うのが知性である。知性は人間が日常生活において出会う具体的な問題について見通しを立てて解決しようとすると同時に、新しい世界を創造しようとする。すなわち知性は、生活改善や社会構造に役立つ道具であると同時に、創造的なはたらきをするものである。こうした知性のあり方をデューイは実験的知性(創造的知性)と呼んだ。真理が絶対的なものであることを否定し、知識や理論などは使用を通じてたえず改善されるべき「仮説」としての性格を持つ。その使用において常に形を変えるためダイナミズム的な特徴を有する。知識や理論の価値は、他の道具と同様、それ自体の中にあるのではなく、実際に使用された場合の結果の有用性にあるとした。デューイはデモクラシーを単なる政治の形態ではなく、集団生活の形式、すなわち、互いの経験を共有し理解し合う生活様式ととらえた。民主主義の本質は自由の精神であり、それは教育によって育まれるものであると考えた。デューイは教育を重視し、教育による民主主義の実現をめざした。「教育とは、過去の価値の伝達ではなく、未来の新しい価値の創造である」デューイの学習理論は問題解決学習である。学習の本質は、自ら問題を発見し解決していく 能力を身につけていく点にあると規定した。戦後の日本でもその重要性が指摘され、問題解決学習が導入された。デューイにおける試行錯誤とは、生活における問題を解決するために、未来を予測しながら実験的に行動し、得られた結果によってその思想を検証するという、実験的知性の探究のあり方を表す。デューイによれば、知性の探究は、生活からの要求→問題設定→仮説→推理→結果による検証という、試行錯誤を繰り返す実験的なプロセスの中で行われる。 ドイツの教育学者であるヘルバルトといえば教育の体系化を行ったことと、4段階教授法が有名です。今回の記事では、実際の授業風景でイメージできる形で、ヘルバルトの教育の目的である道徳的品性のある教育の方法と、4段階教授法をわかりやすく説明します。 民主主義の擁護にあたって、デューイは学校と市民社会の二つを根本要素とみなし、実験的な知性と多元性(plurality)の再構築が求められるとした。デューイは完全な民主主義は、選挙権の拡大によってのみ実現されるのではなく、市民、専門家、政治家らによる緊密なコミュニケーションによって形成される「十全な形」での世論(Public opinion)も不可欠であるとした。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/17 19:51 UTC 版)1887年の「心理学」では、ヘーゲル的な観念論と実験科学とを統合しようとした。ミシガン大学時代には、タフツやミードらとともに共同研究をし、のちシカゴ学派心理学を築く。これらはジェイムズの「心理学原理」に影響を受け、またヴント派よりも心と行動にもたらす社会環境の役割を強調したものだった。1970年代にはいって、ローティやリチャード・バーンスタイン、ドイツの社会学者ハンス・ヨアスらによってこれらデューイの考え方の潜在力が再発見され、プラグラマティズムの意味さえも変えるようになった。しかし上記したように、デューイは自身をプラグマティストとは考えず、道具主義、機能主義、自然主義などと文脈に応じて称した。またトランスアクション(相互作用を意味するインタラクションとは異なる含意を持つ)という概念は、晩期デューイの知識理論および経験理論で頻繁に使用されたため、この概念の方がよりよく思想の概要を示すともいえる。 デューイは日本の社会に非常に関心を持っていたと言われている。 彼の教育活動は、第二次世界大戦後の日本の教育にも影響を及ぼしている。 (C)哲学・思想・心理学 デューイ夫妻が日本・中国から娘にあてた書簡集は“Letters from China and Japan”(1920)として公刊。 ^ Dewey worked on this book from 1939 before its loss in 1947.