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和泉守兼定 - 会津兼定 十一代目 本名は古川清右衛門。幼名は友弥。生没年は1837年1月3日-1903年3月28日。 新選組副長・土方歳三がこの和泉守兼定の刀を差料にしていた事でも有名。 「オレは和泉守兼定。かっこ良くて強い! 最近流行りの刀だぜ。」「刀は見た目だけじゃねえが、見た目が良くて損するわけでもねえ。武器が一個多いってことさ。」「なーにやってんだよ。まさか…オレに見とれてる?」 和泉守兼定(いずみのかみ かねさだ)は、日本刀の銘および刀工の名称。室町時代に美濃国関(現岐阜県関市)で活動した和泉守兼定(之定)が著名であるが、同名の刀工は江戸時代末期に会津藩で活動した和泉守兼定(会津兼定)も知られている。 11代和泉守兼定は、岐阜県発祥の日本刀ブランド「兼定」のラストを飾る職人で、名工として後世に名を残します。1837年(天保8年)~1903年(明治36年)に存命した人物で、出身は会津。青年期から父である10代兼定から、日本刀作りの技法を学びます。
和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)は、江戸時代に作られたとされる日本刀(打刀)である。新選組副長である土方歳三の佩刀として知られている 。東京都日野市の市指定有形文化財に指定されており、同市にある土方歳三資料館(歳三の生家跡)に収蔵されている 。 岐阜県関市と福島県では距離がありますが、なぜ兼定がそのような地で継承されたのでしょうか。最初の和泉守兼定である2代目兼定は、1493年(明応2年)~1526年(大永6年)頃に活躍。美濃国(現在の岐阜県内)に住んでいました。それは、関の3代兼定の子である清右衛門がこの地に移住したためです。以来、「会津の兼定」の歴史が始まります。清右衛門を会津の初代兼定とし、江戸時代が終わるころまで藩から注文を受けて日本刀を作りました。この和泉守兼定は箱館戦争のとき、遺髪や写真、手紙などと共に実家に送られてきた物で、死を覚悟した歳三が遺品として送ったとも推察されています。11代に亘る兼定のうち、特に有名なのが2代目と11代目。「和泉守兼定」(いずみのかみかねさだ)と言えば、この2人の名工のことを指します。会津藩主である松平氏のお抱え刀工であった11代兼定は、松平容保(まつだいらかたもり)が京都守護職に任命されたのを機に、1863年(文久3年)に京都へ移住。そこで修業を積んで和泉守を受領し、2年後、再び帰郷しました。以降、手掛けた刀には和泉守兼定と銘を切ります。岐阜県関市の名工として今も名を残す兼定は、室町時代初期から1392年(元中9・明徳3年)まで続く南北朝時代に発祥。2代目兼定は名工中の名工であり、1511年(永正8年)に「和泉守」を受領(ずりょう)します。これは地方官に任命されたことを意味し、朝廷から授けられた官職名です。地方官職のうち位が高い順に守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)となります。日本刀は作り手の技量によって出来が異なるため、作り手が誰であるのかを明確にすることが目的に法令化されたと考えられています。「鏨」(たがね)という道具で刻まれ、「銘を切る」と表現されます。「孫六兼元」(2代兼元)と「和泉守兼定」(2代兼定)は、いずれも最上大業物に名を連ねる岐阜県関市が誇る関鍛冶の2大ブランドです。2代目兼定が守を受領するのは、当時の刀剣職人としては異例のこと。格式があるために江戸中期までは官職名を自由に名乗ることはできませんでした。11代和泉守兼定は、岐阜県発祥の日本刀ブランド「兼定」のラストを飾る職人で、名工として後世に名を残します。1837年(天保8年)~1903年(明治36年)に存命した人物で、出身は会津。青年期から父である10代兼定から、日本刀作りの技法を学びます。鎌倉時代から現代まで、岐阜県関市における刃物業界では、数々の優れた刀剣職人達が輩出されてきました。なかでも関鍛冶の名を全国に知らしめたとも言われるのが、和泉守兼定と孫六兼元と言う2名の刀剣職人。ここではそのうち、和泉守兼定についてご紹介します。優れた日本刀やその作者を表わす用語として、最上大業物(さいじょうおおわざもの)という言葉があります。一般的に、切れ味のたいへん優れた刀のこと。厳密には、1805年(文化2年)に山田浅右衛門がまとめた「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく)などの書で使われた分類のひとつです。あとに続く三代兼定も名工で、兼定は定の字を楷書で銘切りしたので、「疋定」(ひきさだ)と呼ばれました。安土桃山時代や江戸時代には、各地で戦国大名がお気に入りの刀剣職人を専属させる「お抱え」制度が行なわれるようになったのです。銘は本名とは異なる物が切られるのが一般的。例えば本名が古川清左衛門であっても、銘は兼定とするといった具合です。2代目兼定と他にもうひとり、和泉守兼定の名で知られるのは、11代兼定です。登場は2代目兼定から約300年あとになる江戸時代末期。現在の福島県内に位置する会津の地で活躍しました。
和泉守兼定 - 会津兼定 十一代目 本名は古川清右衛門。幼名は友弥。生没年は1837年1月3日-1903年3月28日。 新選組副長・土方歳三がこの和泉守兼定の刀を差料にしていた事でも有名。 「オレは和泉守兼定。かっこ良くて強い! 最近流行りの刀だぜ。」「刀は見た目だけじゃねえが、見た目が良くて損するわけでもねえ。武器が一個多いってことさ。」「なーにやってんだよ。まさか…オレに見とれてる?」 和泉守兼定(いずみのかみ かねさだ)は、日本刀の銘および刀工の名称。室町時代に美濃国関(現岐阜県関市)で活動した和泉守兼定(之定)が著名であるが、同名の刀工は江戸時代末期に会津藩で活動した和泉守兼定(会津兼定)も知られている。 11代和泉守兼定は、岐阜県発祥の日本刀ブランド「兼定」のラストを飾る職人で、名工として後世に名を残します。1837年(天保8年)~1903年(明治36年)に存命した人物で、出身は会津。青年期から父である10代兼定から、日本刀作りの技法を学びます。
和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)は、江戸時代に作られたとされる日本刀(打刀)である。新選組副長である土方歳三の佩刀として知られている 。東京都日野市の市指定有形文化財に指定されており、同市にある土方歳三資料館(歳三の生家跡)に収蔵されている 。 岐阜県関市と福島県では距離がありますが、なぜ兼定がそのような地で継承されたのでしょうか。最初の和泉守兼定である2代目兼定は、1493年(明応2年)~1526年(大永6年)頃に活躍。美濃国(現在の岐阜県内)に住んでいました。それは、関の3代兼定の子である清右衛門がこの地に移住したためです。以来、「会津の兼定」の歴史が始まります。清右衛門を会津の初代兼定とし、江戸時代が終わるころまで藩から注文を受けて日本刀を作りました。この和泉守兼定は箱館戦争のとき、遺髪や写真、手紙などと共に実家に送られてきた物で、死を覚悟した歳三が遺品として送ったとも推察されています。11代に亘る兼定のうち、特に有名なのが2代目と11代目。「和泉守兼定」(いずみのかみかねさだ)と言えば、この2人の名工のことを指します。会津藩主である松平氏のお抱え刀工であった11代兼定は、松平容保(まつだいらかたもり)が京都守護職に任命されたのを機に、1863年(文久3年)に京都へ移住。そこで修業を積んで和泉守を受領し、2年後、再び帰郷しました。以降、手掛けた刀には和泉守兼定と銘を切ります。岐阜県関市の名工として今も名を残す兼定は、室町時代初期から1392年(元中9・明徳3年)まで続く南北朝時代に発祥。2代目兼定は名工中の名工であり、1511年(永正8年)に「和泉守」を受領(ずりょう)します。これは地方官に任命されたことを意味し、朝廷から授けられた官職名です。地方官職のうち位が高い順に守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)となります。日本刀は作り手の技量によって出来が異なるため、作り手が誰であるのかを明確にすることが目的に法令化されたと考えられています。「鏨」(たがね)という道具で刻まれ、「銘を切る」と表現されます。「孫六兼元」(2代兼元)と「和泉守兼定」(2代兼定)は、いずれも最上大業物に名を連ねる岐阜県関市が誇る関鍛冶の2大ブランドです。2代目兼定が守を受領するのは、当時の刀剣職人としては異例のこと。格式があるために江戸中期までは官職名を自由に名乗ることはできませんでした。11代和泉守兼定は、岐阜県発祥の日本刀ブランド「兼定」のラストを飾る職人で、名工として後世に名を残します。1837年(天保8年)~1903年(明治36年)に存命した人物で、出身は会津。青年期から父である10代兼定から、日本刀作りの技法を学びます。鎌倉時代から現代まで、岐阜県関市における刃物業界では、数々の優れた刀剣職人達が輩出されてきました。なかでも関鍛冶の名を全国に知らしめたとも言われるのが、和泉守兼定と孫六兼元と言う2名の刀剣職人。ここではそのうち、和泉守兼定についてご紹介します。優れた日本刀やその作者を表わす用語として、最上大業物(さいじょうおおわざもの)という言葉があります。一般的に、切れ味のたいへん優れた刀のこと。厳密には、1805年(文化2年)に山田浅右衛門がまとめた「懐宝剣尺」(かいほうけんじゃく)などの書で使われた分類のひとつです。あとに続く三代兼定も名工で、兼定は定の字を楷書で銘切りしたので、「疋定」(ひきさだ)と呼ばれました。安土桃山時代や江戸時代には、各地で戦国大名がお気に入りの刀剣職人を専属させる「お抱え」制度が行なわれるようになったのです。銘は本名とは異なる物が切られるのが一般的。例えば本名が古川清左衛門であっても、銘は兼定とするといった具合です。2代目兼定と他にもうひとり、和泉守兼定の名で知られるのは、11代兼定です。登場は2代目兼定から約300年あとになる江戸時代末期。現在の福島県内に位置する会津の地で活躍しました。