2016年に公開された新海誠監督の『君の名は。』の快進撃が止まらない。邦画部門の興行収入は「ハウルの動く城」を抜き、歴代2位。洋画を含む興行収入ランキングでも「千と千尋の神隠し」「タイタニック」「アナと雪の女王」「ハリー・ポッターと賢者の石」に続く歴代5位というから驚きだ。
「君の名は。」関連記事 (c)2016「君の名は。」製作委員会 『君の名は。』の累計興行収入はついに200億を突破、あの『ハウルの動く城』の記録をも抜き去りました!年明けの1月13日から2週間限定でimax上映も決定したそうです。 少女マンガは現実が舞台なくせにうまくいきすぎだし演出が大袈裟すぎる。「君に届け」しか読んだことないけどこれ読んで”少女マンガはムリだ”と確信した高校生時代でした。 >君の名は。の時系列まとめ記事はこちら 童貞っぽさを感じた要因 君の名はがつまらないという感想が多いことはご存じでしょうか、その理由についてまとめていきます。 君の名はといえば歴代興行収入第4位と偉大すぎる記録を持ち、何度も放映延長がされ、中には10回以上見たという人も多かったことで有名ですね。 また、力強い言葉が多い一方で、さまざまなシーンで映り込むものや、さりげないセリフの数々には、何度観ても“物語の広がり”や“新しい発見”が見つかるようになっています。しかし、こうしたロマンティックさから“一歩引いた大人”として、奥寺先輩が重要な存在になっています。彼女は旅行中の瀧の言動には懐疑的でしたし、最後には婚約指輪を見せて“普通に結婚する”という未来を見せています。ところが、本編ではヒロインが過去に死んでしまったことがわかり、入れ替わり要素だけでなく、町全体を救おうとするという話になるため、日常を描く青春ものなの?コメディなの?ファンタジーなの?SFなの?話がコロコロと変わりすぎで困惑した!という方も少なからずやいるのです。そこには、『君の名は。』とはまったく違う魅力や、感動があるはずです。“設定にツッコミどころがある”が、『君の名は。』でもっとも多い批判意見でしょう。特に“3年の時間のズレがあるのに、2人ともそれに気づかないのはおかしい”というのは誰しもが気になるポイントです。そう考えると、『君の名は。』は言葉で感動をぶつけてくれるという“ストレートさ”と、細部を読み込むと新しい発見が見つかる“奥深さ”もあるという、2つの魅力が共存しているとも取れるのではないでしょうか。同じアニメ映画であれば、『映画 聲の形』は登場人物のさりげない表情や行動の変化でその気持ちを示してくれる作品でしたし、『この世界の片隅に』は戦時中のただただ日々の生活を営む普通の人たちの姿が描かれていました。ただし、劇中には“三葉(中身は瀧)が休日なのに制服を着ていたので、妹の四葉に「なんで制服着とんの?」と言われる”という、2人の時間のズレそのものを示すシーンがありました。ちゃんと制作者側も、この物語の不都合な部分をわかっているのです。また、劇中歌「スパークル(movie ver.)」が流れ出すのは“隕石がついに墜落する”という、悲劇的にも思えるシーンでのことでした。なぜこのシーンで緊迫感のある音楽ではなく、ポジティブな歌詞のボーカル曲を流すのか、という批判意見もあるのです。この壮大さや、ロマンティックさに乗れないという人もいるのも、仕方がないでしょう。そうであっても、それらの設定が“物語を成り立たせるため”の都合の良いものにしか思えない、それでもやはり納得できないことがあるということで、乗れなかったという方の気持ちはよくわかります。これは否定できない欠点です。個人的には、中盤でガラリと変わる雰囲気と、予想もつかない方向に話が動いていく話運びが大好きでしたし、隕石落下から人々を救うという行動はこれ以上のないハラハラを届けてくれた、ということで大納得できました。何より、2016年は、まさに奇跡と呼ぶべき傑作映画が続々と世に送り出された年でした。『君の名は。』の大ヒットはもちろんうれしいことですが、映画ファンとしては、“『君の名は。』で久しぶりに映画館に行った人に、他の映画も見て観てほしい!”、“他にもこんなに素晴らしい作品があるよ!”と訴えたいのです。ラストシーンはもちろんですが、自分はこの婚約指輪が一瞬だけ映るシーンにも感動してしまいます。ファンタジー的な要素とは縁がないように見えた奥寺先輩であっても“幸せになる未来”を想像させるのですから。本作のロマンティックさに乗れなかったという人にとっても、奥寺先輩は印象に残る人物になっているのではないでしょうか。ただ、その表現方法に“押し付けがましさ”を感じてしまうのも、また致し方ないかな、と。やはりこれは賛否を呼ぶポイントです。重要なのは、2人が“夢の中”で入れ替わっていることです。思えば、夢を見ている間は“時間”なんて気にしたことがないですし、その夢で出てくることのほとんどは忘れてしまいます。入れ替わっているときに、2人がその曜日や日付に違和感を抱いていなかったり、瀧が糸守高校の名前を覚えていなかったりするのは、“夢の出来事であるから”と納得できるのです。ただし、「忘れちゃいけない!」という言葉が出てきたのは、瀧と三葉がお互いの記憶が薄れつつあるからこそ、“声に出してまで忘れないようにした”ことが理由であると納得できます。2人の切実な想いが伝わるシーンですし、心の内をしゃべってしまう“まるで演劇”な違和感はないでしょう。また、テッシーが爆弾を作って変電所を爆破するというトンデモ行為に引いてしまった方もいるようです。でも、テッシーは序盤に『ムー』という雑誌を読んでいるためオカルトやミステリーに興味津々なことがわかるうえ、この閉鎖的な糸守町で生きるしかないと“諦め”に似た感情を持っていたため、爆弾を作れるくらいのアブなさを秘めていたとも納得できます(笑)。ちなみに、小説版ではテッシーが爆弾を作れると言ったことに、三葉(中身は瀧)がドン引きしているという描写がありますよ。本作は、東北大震災などの災害に直面した、日本または世界中の人々を鼓舞する内容とも取れます。彗星衝突という災害そのものは避けられませんでしたが、瀧や三葉たちは、なんとかその場所に住む人を救おうと、必死に行動していたのですから。瀧や三葉たちは、奇跡のような出来事が起こる世界だけでなく、そうした奇跡が起こらない日々の中でも、がんばっているのです。こうした“現実”と言える世界での人々の“これからの暮らし”を描いているため、災害を描いた映画としても志が高いと言えるのではないでしょうか。また、劇中ではスマートフォンが存在しているため、離れた場所でもコミュニケーションが取れてしまいます。そのため、ただ2人の中身が入れ替わるという設定だけであったら、これほどまでに2人の“すれ違い”は描かれず、ラストの爽快感も生まれることはなかったでしょう。“夢の中で入れ替わる”という設定は、その“すれ違い”のためにも必要だったのです。「忘れちゃいけないあの人!」、「忘れたくない人!」といったセリフに代表されるように、本作には登場人物が大きく声を出して、伝えたいことを主張するシーンが多くあります。」オープニングも批判されやすいポイントです。劇場作品なのに、まるでテレビアニメのようなボーカル曲つきのイメージ映像が流れる、という点だけでも、確かに拒否反応を覚える方が多いのかもしれません。そのオープニングで何度観ても感動してしまうのは、“東京にいる瀧と、糸守町に住む三葉の間にある、物理的な長い距離を一瞬で移動してしまう”というシーンでした。これは、2人は遠く離れたところに住んでいるように見えるけど、その想いはこれほどまでに一瞬に届く、ということを示しているのでしょう。しかし、この“夢の中で入れ替わる”ことが、ある程度の物語上の説得力を持たせているのも、また事実です。映画は、登場人物のちょっとした表情や行動の変化で、その心の機微を伝えられます。そのため、こうしたストレートな言葉ではなく、さりげない描写で感動させて欲しかった、という方の気持ちもよくわかります。しかも、オープニングは(さらっと観ているだけでは気づきにくいですが)、ラストシーンの寸前の主人公2人の姿を見せているのです。このために“結末がわかってしまった”とガッカリした方も多いのでしょう。これは、“物語が訴えていることを、ボーカル曲の歌詞で代弁してしまっている”ということでもあります。このために“登場人物の感情を考えて読み取る”という映画ならではの魅力が少なくなっているという意見はもっともです。そんな『君の名は。』は多くの方に絶賛されている一方で、かなりの賛否両論を呼んでいることもまた事実。ここでは、『君の名は。』が批判されやすいポイントと、なぜ感動できなかった方がいるのか、ということについて、たっぷりと考えてみます。ぜひ、1つの作品を批判するだけでなく(それ自体は悪いことではありませんが)、良いところを見つけてみたり、他の映画との共通点を見つけてみたり、はたまた他の映画でまったく違った感動を体験したりと、映画のさらなる魅力を探してみてください。しかし、劇中では“災害の前にタイムスリップして人々の命を救った”というファンタジー的要素、言い換えれば“奇跡”も起こっています。実際に愛する人を失ってしまう人が多く、そうした悲劇を覆すことなどできない災害を描いた映画としては、構造的に問題がある、という指摘があるのです。これまでいろいろな“感動できなかった”方の意見を挙げてみましたが、それら全ては単なる欠点だと貶めるものではなく、『君の名は。』という作品が持つ“特徴”である、とも考えることができます。もしも“最後にヒロインは生き残ってちゃんと大人になるんだな”と思っていたとしても、“2人が巡り会う”という本当のラストシーンは、このオープニングでもわかっていないことです。なにせ、このオープニングで“大人になっていたはずの三葉”は、中盤で“死んでしまったことがわかる”のですから。このオープニングの時点では、中盤の展開や物語の結末は確定しないのです。このオープニングがあってこそ、オープニングでも“未確定”であったラストの“ハッピーエンド”が、より感動的になっているのではないでしょうか。アニメーション作品であるので、実写作品の“偶然映り込んだ”というものはなく、製作者はすべてのシーンに、何かしらの“意味”を持たせることが可能なのです。それらが小ネタ程度に止まらず、作品の根幹のテーマに関わってくる、というのも、『君の名は。』の大きな魅力と言えるでしょう。また、夢とは、寝ている時に見るものだけを指すのではなく、“願望”や“希望”も表します。夢の中で入れ替わっているというのは、とってつけたような設定ではなく、この物語に根付いている“大切な人に生きて欲しい、会いたい”という切実な気持ちをも示しているようにも思えるのです。この“運命の人と巡り会う”というのは『君の名は。』の根底にあるテーマです。劇中では、運命の人とはたまたま出会った人ではなく、奇跡によって出会えた、世界を変えてしまう(それこそ糸守町の人々を救った)ほどのバックボーンを持った人物である、としていると言ってもいいでしょう。最後に瀧と三葉が出会うのは、何かしらのロジックではすべては説明できない、偶然のようであり、はたまた運命のようにも思える出来事でした。劇中のRADWINMPSの音楽は本作の大きな魅力の1つですが、反面“ボーカル曲が4曲もあるのはさすがに多すぎ”、“ボーカルが物語への没入感を下げている”という批判意見もありました。“高校生の若い男女の中身が入れ替わってしまう”という本作の設定を聞いて、『転校生』のような“入れ替わりコメディ”を期待した方もいるのではないでしょうか。これは良い悪いというよりも、大きく物語の方向を転換するという作品の“特徴”なので、ことさらに否定するべきではないでしょう。物語を通じて、“大切な人を見つけたい、会いたい、救いたい”という切実な気持ちは、一貫していますしね。