ラテン語の「未知の南方大陸」が語源のオーストラリア。先住民アボリジナルが暮らす地は、イギリス植民地として歴史を歩んできた。アボリジナル・オーストラリアジェームズ・クックの航海流刑地としての時代ゴールド・ラッシュオーストラリア連邦成立2つの世
日本を含め、世界各地で移民が大きなテーマとなっています。そこで移民大国の一つオーストラリアを取り上げます。まず人口の特徴から整理し、その後、移民の歴史、そして最近のテーマと簡単にまとめていきます。なお、多文化主義とはこの国の政策方針です。 歴史を概観すると、オーストラリア大陸にはアボリジニなどの先住民が暮らしていたが、1770 年に英国人探検家クックが上陸し、英国の領有を宣言した。
オーストラリアの多文化主義政策 Clair Report No. 日本を含め、世界各地で移民が大きなテーマとなっています。そこで移民大国の一つオーストラリアを取り上げます。まず人口の特徴から整理し、その後、移民の歴史、そして最近のテーマと簡単にまとめていきます。なお、多文化主義とはこの国の政策方針です。 かつてオーストラリアは白豪主義という白人優先主義をとっていましたが、現在では多文化主義に移行し、世界中からの移民を受け入れています。
アボリジニ問題が,多 文化主義政策の機能不全が指摘されるように なるにつれて噴出してきたオーストラリアが抱える社会問題の一つであることからも,今後は, アボリジニ問題を考えるにあたっては,必 ずオーストラリアの多文化主義という文脈に 第一次世界大戦、第二次世界大戦を経て大幅な人口減という深刻な社会問題を抱えたオーストラリアは、国防や経済成長など、さまざまな点において、人口増加が必須と判断し、アジア、東欧、中東、南欧などから積極的に移民を受け入れるようになりました。もともとロケーション上、アジア諸国との経済関係に利があったことや、鉱物資源が豊富だったこと、 … 「です・ます調」で初学者向けにアボリジニからみたオーストラリア史が描かれています。アボリジニの歴史に興味を持った方には、ぜひ読んでもらいたい本です。そのため、以下の書物を参考にあなたの学びを深めていってください。その結果、アボリジニは上述したような激しい人種差別にさらされたのです。しかし、実際にはアボリジニが生物学的に消滅することはなく、1930年代までに混血のアボリジニが増加していきました。より詳しく知りたい方には上述した鎌田の議論か、藤川(編)の『オーストラリアの歴史』(有斐閣)がおすすめです。アボリジニに関しての記述も多く、主流社会との関係から学ぶことができます。そのような政策は映画『裸足の1500マイル』で描かれているので、ぜひ観てみてください。これらの制限がありますが、以下の内容からアボリジニの歴史の全体像をつかめるはずです。この「自己決定権」とは、鎌田の説明によると以下のようなものを指します。現在の研究成果では、人種に生物学的な根拠がないことが証明されています。つまり、「人種」という言葉に対応する生物学的な実体は存在しません。リベラルアーツガイドは、質の高いコンテンツを作成し続けるためにご支援をお願いしています。詳しくは下記ページをご覧ください。最初の1冊は無料でもらえますので、まずは1度試してみてください。まず1章では、アボリジニの歴史を簡潔に概観します。「歴史的な差別がなぜ起きたのか?」という疑問に関心のある方は、2章から読み進めてください。上述の2冊に比べると、学術的な議論がおこなわれています。そのため、初学者向けではないですが、細かい歴史を知りたい方にはおすすめです。連邦政府のプロジェクトをうまく利用して生活水準を引き上げることができた共同体もあれば、逆にインフラ整備に失敗して赤字を抱えた共同体もあるそうです。教養のある思想家のなかには「高貴な野蛮人」というロマン主義的な見方も存在しましたが、多くの囚人や開拓者にとってアボリジニを「高貴な野蛮人」と捉えることは不可能だったといいます。これらの虐殺の結果、白人入植当時約75万人といわれたアボリジニの人口は、20世紀初頭までに約9万人と激減しました。しかしながら、以下のように現実は「友好」などという甘いものではありませんでした。オーストラリア史が簡潔にまとめられた書物です。アボリジニの歴史を知るには、オーストラリア史の前提知識が必要ですから、この書物から学んでみてください。アボリジニに関する記述も多くあります。アメリカの公民権運動は、世界の先住民に影響をもたらしました。そのような歴史は以下の記事で紹介しています。鎌田が指摘するように、アボリジニに対する政策に関して注意してほしい点は、歴史は全般にいえることですが、細かく勉強しようとすると「どこまでも」勉強できます。言い換えば、この記事ではそのような歴史の一部を紹介したにすぎません。上述の歴史を経過して、1970年代ごろになると、アボリジニの「自己決定(self-determination)」が提起され始めます。簡潔にいえば、ヨーロッパ人接触以前のアボリジニは次のような歴史と社会の特徴がありました。このサイトでは、先住民について他にも解説していますので、ぜひブックマークしてください。あなたがオーストラリアという国家に対して抱くイメージはどのようなものでしょうか?個々人によって多様なイメージがあると思いますが、「アボリジニ」を忘れるべきではないでしょう。アボリジニの子どもを親から拉致まがいで引き離す非人道的な政策は、1950年から1960年になると、「同化」の名のもとに以前にも増しておこなわれてきました。政治参加と社会的主体性の承認を重視するか、経済的自立を重視するか、政策上の重心に振れはあるものの、あくまでも主流社会の政治制度の下で先住民が政策決定過程に参加することによって、行政に彼らの意志を反映させ、効率よくサービスを提供することを目的としていたオーストラリア研究の青木は以下の書物で、当時のヨーロッパ人の世界観をわかりやすく説明しています。そして、最終的には植民地政府もアボリジニの「保護」政策を開始します。たとえば、ヴィクトリア植民地では1869年に「アボリジニ保護法(Aborigines Protection Act)」を成立させて、植民地政府の管理下に先住民を置きました。では一体、なぜアボリジニはこれほどまでの差別を受けてきたのでしょうか?ここでは、白人のアボリジニに対する眼差しから解説します。ここでいう「科学的」とは、白人種を優等性と有色人種の劣等性をエセ的な科学で証明しようとするものを指します。当メディアは純広告(メディア内に設置する広告)を募集しています。詳しくは以下のページをご覧ください。などの特典もあります。学術的感性は読書や映画鑑賞などの幅広い経験から鍛えられますので、ぜひお試しください。
オーストラリア 総人口 21,507,717人 国外出 者 5,294,146人 アボリジニ及びトーレス海峡諸島民 548,369人 2011年国勢調査(豪州統計局) 日本(2015年6月) 総人口 126,929,000人 各月1日現在人口(総務省統計局) 358 (March 25, 2011) (財)自治体国際化協会 シドニー事務所